なんだかあやしいタイトルのブログになってしまいました。
何が書きたいかというと、自分が普段耳にしている母国語についてです。
私は今ポーランドに住んでいるのですが、長年住んでいるにも関わらず
公用語であるポーランド語は恥ずかしながら話せません。
仕事や友人たちと話すのに英語だけで十分だからです。
外に出るともちろんポーランド人同士の会話はポーランド語なので
集中して聞いていないとみんながなんの話をしているか全くわかりません。
もちろんポーランド語が話せたらいいと思うことは何度もありましたが、
それでも英語をまず磨こうと思っていたら、いつの間にかこんなに年月がたってしまいました。
そんな中で暮らしていてたまに日本に帰ってくると、
すべての会話が勝手に耳に入ってきてちょっとぎょっとするんです。
わー、全部明確にわかる!と。
でもそれって自分の得たい情報だけじゃなくて、むしろいらない情報のほうが多いです。
広告や必要ないニュースや他人の会話。
そういうのが勝手に耳に入ってきて慣れるまでいつもちょっとしんどくなります。
そんなに精神的にセンシティブなわけではないんですが、
生まれてからずっと自然に体に染みついてきた母国語の力に今更驚かされるんです。
逆にポーランドや母国語が違う国などで過ごすと、自然といらない情報が入ってこなくて
入ってくるのは大抵自分で調べたものだけになります。
なのでたまに自分の体に馴染んだ言語の中に身を置くと、
体全体があらゆる言葉を拾ってしまって、知らない間にじわじわと影響を与えられている気がするんです。
悪いニュースや悪口なんかを耳にすると気分が悪くなるのは言うまでもありませんが、
無意識に聞く悪いニュースも毎日聞いていると、ちょっとずつ負の気が溜まっていってるのではと思います。
言霊という言葉がありますが、言葉には霊的な力が宿っていると言われています。
言葉に出すことで願いが叶いやすくなるとか、悪い言葉を浴びせた林檎は早く腐るなど聞いたこともあるかと思いますが、言葉の持つ力にはまだまだ私たちが思っている以上の力があるのではと思います。
逆に言うと良い言葉を聞くようにしていれば自然と体も良い方向に影響されると思います。偽善的なものでなければね。
言葉の持つ力の不思議についてはまたそのうちもう少し詳しく話せればと思います。
ではまた。

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初めてコメントさせて頂きます。
言葉って強烈ですよね。私も同じ境遇に身を置いていました。ルクセンブルクでは公用語はルクセンブルク語。でも私は英語とフランス語しか理解できない。社内は公用語を英語にしていたけれど、知られたくない話をするときは私達は日本語だし、彼らはルクセンブルク語で話す。よからぬ話をしているのはお互いに感じ取る。不思議なもので、雰囲気で何を話してているのかは理解できたりする。だから私は努めて同じ言葉を話していました。
仰る通り、赤の他人が話すどうでもいい事は、理解できない方が良かったかも^_^
コメントありがとうございます!ルクセンブルグにいらしたんですね。英語に加えフランス語ができるなんて尊敬です!多言語を使用する環境に置かれると猶更母国に帰ってきたときに、世界が情報過多なのがよくわかります。おっしゃる通り何をしゃべっているのかわからないけど雰囲気でなんとなく理解できたりして、それが直観力をかなり磨いたんじゃないかと思ってます。図太さも磨かれましたが(^^;